元ホシノマチ団地住民が団地スタッフに加わりました!

はじめまして!
5月から、新しくホシノマチ団地の運営スタッフになりました町田です!

私は、2021年6月から2022年3月までの間、ホシノマチ団地の住民として暮らしていました。
当時はまだ、ホシノマチ団地がオープンしたばかりということもあり、運営スタッフ以外でホシノマチ団地に移住した住民の第1号が私でした。

運営スタッフ(入居者1号)と私(入居者2号)


ホシノマチ団地に住んでいたのは1年弱。
団地に住みながら、地域の様々な活動やイベントに参加したことで、少しずつ自分のやりたいことがはっきりとしてきたため、入居していた期間は少し短かったですが、ホシノマチ団地が当時抱えていた『課題を解決するための活動』にも参加させていただいていたこともあって、とても濃く、充実した暮らしだったことを覚えています。

今回は、そんなホシノマチ団地初期の記憶を思い出しながら、私が『いま何をしている人』で個人として、また団地スタッフとして『これからどんなことをしたいのか』等の自己紹介も合わせてお話しできればと思います!

ホシノマチ団地消滅の危機

消滅のタイムリミットが迫る中 制作した動画


突然ですが、2021年のホシノマチ団地は消滅の危機でした。

今でこそ、たくさんの移住者の方々を迎え、満室になり、増室する程に賑わうホシノマチ団地ですが、実はホシノマチ団地はいままでに何度か『消滅の危機』を乗り越えてきた非常にタフな団地です。
私が入居した2021年6月頃も、まさにその危機の真っ只中でした。

現在(2024年5月時点)は全部で21室のホシノマチ団地ですが、当時はまだ部屋数も8室のみと少なく、その内入居者で埋まっていたのはなんと2室のみ。
私が入居した時点で、存続のタイムリミットと、存続のための条件が既に決まっており、動画の中でも2人が言っていますが、ホシノマチ団地の存続自体が危ぶまれる状態でした。

撮影時は既にオープンして4ヶ月程が経っており、その時点で入居が決まっていたのは2室のみ。残り2ヶ月で4室埋めなければならないといった難易度の高い挑戦でした。

そんな危機を救ってくれた大きな要因の一つが、プロボノ活動だと思っています。
プロボノについての詳しい内容はこちら↓の記事をご覧ください。


プロボノの詳しい説明は今回は割愛しますが、当時の主な目的は、ホシノマチ団地存続のためのアイディアを出し合い、危機から救うことでした。
皆さん、毎週仕事終わりにオンライン上に集まって、真剣に話し合っていました。

当時のプロボノの参加メンバーは、ホシノマチ団地責任者、団地スタッフ、関係人口、団地住民(私)。
それぞれ、住まいも、スキルも、年齢も、所属組織も異なる様々な属性の方々が集まっており、多角的な視点からホシノマチ団地存続のためのアイディアや意見を交換できる場だったので、そこでもらった着想をヒントに、私もいくつかの取り組みを企画したりしました。

▼ホシノマチ団地住民時に私が取り組んでいたこと

また、その他にもホシノマチ団地での暮らしをよりイメージしやすくするためのホームページをつくったりもしていました。

▼当時制作したホームページ
ホシノマチ暮らし
※現在メンテナンスされていないため、非表示になっているコンテンツを含みます

上記以外にもプロボノメンバーのアイディアから様々な企画が生まれ、プロボノ参加者の方々の頑張りとタイミングも重なって、なんとか存続の危機を脱した時は本当に嬉しかったのを今でも覚えています。
端折った部分もありますが、ここまでがホシノマチ団地で暮らしていた時の私の振り返りです。

こうして改めて思い出してみると、存続できて本当によかったと思います!

参考: ホシノマチ団地の歴史(2018年1月〜2022年6月

ホシノマチ団地に移住したきっかけ

ここから少し私の自己紹介です。

私は、ホシノマチ団地に移住する前、台湾の新北市というところに少しだけ住んでいました。

その後、日本に帰国してからしばらくは、ホテル暮らしで日本全国を転々としていました。
今思うと、この暮らし方が自分にはあまり合っていなかったようで「このままふらふらと生きていて良いのだろうか」とふと不安に思うことがよくあったのを覚えています。

そんな時、何気なく見ていた移住関連のサイトで『ホシノマチ団地の入居者募集』が目に止まりました。
当時の感想は「なんかすごくトガってて、面白そうな団地だなぁ。」です。

移住を決断した時は福岡のホテルに居たのですが、幸いホテル暮らしで家具も無く、非常に身軽だったのですぐに電話をして、翌週から住み始めました。
ボストンバック片手に引越した日が、私が初めて佐久市を訪れた日です。
そのぐらいふわっと、さくっとした形で私の移住生活が始まりました。

そんなきっかけだったので、移住した当初は特にやりたいことが決まっていた訳ではなく、団地に住みながらシェア農園をしてみたり、バレエ教室と喫茶店を掛け合わせてみたり、1年間限定で自分の畑を借りてみたり、ローカル複業を目指すコミュニティに参加してみたり、ホシノマチ団地のホームページを勝手に作ってみたり、プログラミング教室の募集をしてみたり、団地のコワーキングスペースと塾を繋げてみたり、市民活動団体をつくってみたり、YouTube用の団地紹介動画をつくってみたり…

色々なことに手を出していました。
今思えば、こうした様々な活動を通して「自分はここで何をしたいのか?」を探していたのかもしれません。

いまやっていること

現在は『Web関連の開発』と『猟師』と『ホシノマチ団地スタッフ』の3つの仕事をしています。

Webの仕事は移住前からしていたものを継続しつつ、佐久地域の店舗やサービス向けのホームページ制作も合わせて行っています。
(ホシノマチ団地発の不動産会社『ホシノマチ不動産』のホームページも制作させていただきました)

猟師の仕事は2年程前から始めました。
狩猟との出会いは、たまたま参加したオンラインイベントで、長野県上田市で行われている『罠シェアリング』という仕組みを使ったサービスに出会い、興味を持ち始めたのがきっかけです。

こちらのイベントは『ないものは山で作れる』をテーマに、長野県内のコンテンツに特化したイベントだったので、恐らく自分が長野県に住んでいなかったら興味を持つこともなく、イベントに参加することもなく、狩猟にも一生出会うことは無かったのかもしれません。

イベント参加後、狩猟に対する興味が爆発してしまっていたので、すぐに狩猟を始めたかったのですが、当時近くに狩猟をしている方がおらず、どうしたら狩猟を始められるのかを調べるところから始めたのですが、地域の狩猟関連の情報って検索してもなかなか出てこないので、苦労したのを覚えています。

これからやりたいこと

わな猟体験

個人としては、狩猟とIoT機器を使って新しい取り組みをしてみたいと思っています。
まだ、具体的にどのようなことをやるのかは現在模索中です。

ただ、狩猟のことを調べた時に、なかなか地域の情報が出てこなかった経験があったので、アナログだったり、わかりにくかったりする部分をなるべくデータ化し、誰でも見たり体験したりできる仕組みをつくることで、より狩猟を身近に感じてもらえるような取り組みができたらと思っています。

試験的ではありましたが、過去には狩猟体験ができる『KARIUDO GUILD(かりうどぎるど)』というサービスを立ち上げ、実施したりもしました。

地方だけでなく、高齢化や担い手不足によって全国的に猟師人口は減っているので、狩猟をより身近に感じてもらうことで、少しでもヒトや地域にとって良い活動ができればと思っています。

団地スタッフとして

いまは個人的に行っている狩猟ですが、実はホシノマチ団地のスタッフとしての活動にも一部通ずるところがあると思っています。
実は、どちらの活動もこの土地に住む理由づくりのお手伝いがしたいという想いが共通しています。

リモートワーカーは特に、インターネット環境さえあれば、世界中どこにいても仕事ができる時代です。
私がそうだったのですが、そのような仕事の仕方をしていると、自分がいま住んでいる土地に居る理由が欲しくなってくる方も少なく無いのではないでしょうか。
身内も知り合いもいない、生まれ育った故郷でもない土地に飛び込んで住むには、そこにいる理由が必要なのではないかと私は思っています。

私にとっての狩猟やホシノマチ団地スタッフはその理由の一つです。
狩猟をやるには免許が必要ですが、狩猟免許があれば全国どこでも狩猟ができるわけではありません。
地域の組織に所属し、佐久市内の自分の担当するエリアでしか私は狩猟ができません。

ホシノマチ団地も同様に、佐久市にしかありません。
どちらの仕事も、私にとってはここでしかできないことです。
ここでしかできないことがあることが『自分がいまここに住んでいる理由』を作ってくれているような…そんな気がしています。

もしかしたら移住者の方で、自分と同じように思っている人がいるかもしれない。
そんな方に出会った時は、ホシノマチ団地のスタッフとして、その方がここに居る理由ここに居ても良い理由づくりのお手伝いができたら嬉しいです。

私自身も移住者ですし、元ホシノマチ団地の住民でもあり、地域の人でもあるので、移住のことや暮らしのことで何かモヤモヤっとした時に、同じ目線で力になれるようなスタッフになれたらと思います!

これからよろしくお願いします!