この数年間で、数人のシニアの方から聞いた言葉です。

「野垂れ死にたい!」

この言葉の裏には、介護などで誰の世話にもならず、人知れず死にたいという想いがあるようです。

家族も含めて、誰かに迷惑をかけたくないという想いが強いんですね。

ここから考えたのは2つです。

一つは、そのような安心して野垂れ死ねる場所をつくりたいということ。

もう一つは、野垂れ死にたいと思わなくなるようなコミュニティを実現したいということです。

死は誰にでも訪れます。

それが、高齢化社会で亡くなる方が多くなったため、それを見送る側の負担が増えてしまっていて、死が迷惑行為のような形になっているのが現在です。

誰一人として面白くない人生を送っている人はいないと思います。

その人生について、みんなで共有して、その人のことをもっと知ることができたら、その人の死に対してももっと前向きにとらえることができるのではないでしょうか。

この一歩進んだ人間関係がいつの間にかお金で補われるようになって、共有することの価値が薄まってきてしまっていると思うのですが、これが再び変わってくるのではないかと思っています。

都会の生活と地方の生活ではお金に関する考え方、生活が異なります。

都会の生活というのは、かつて地方の生活をしていた人たちが都会に移ったのをきっかけに変化を遂げてきているので、両方を経験した人たちが地方に再び戻ることで新たなあり方も生まれてくるのではないかと思っているところです。

野垂れ死ねる場所、野垂れ死にが必要ない場所、今後必要になってくる気がします。