【移住者インタビュー】移住仲間との農業体験からりんご農家へ! 東京からの移住のワケ、団地コミュニティの魅力

ホシノマチ団地の元住民の方(私たちは「アルムナイ」と呼んでいます)にお話を伺いました。

ご家族は現在4人家族。

2021年に東京から佐久市のホシノマチ団地へ移住し、現在はお隣りの立科町でりんご農家を目指しています。

引っ越した後も、団地のイベントなどで交流が続いています。

移住を決めた理由、ホシノマチ団地での思い出、会社員からりんご農業への転身について、思う存分お話しいただきました!

東京都内から佐久への移住を決意した本当のワケ

私たち夫婦は山登りが好きで、東京に住んでいた頃からよく長野県に足を運んでいました。

長野の豊かな自然に魅了され、いつかこの地で暮らしたいという思いを漠然と抱いていたのかもしれませんね。

実際に移住を決断したのは、家族の健康やこれからの私たちの人生を考えた結果です。

私たちは東京で交通量の多いエリアに住んでいました。

まさにコンクリートジャングルの中で、長女が生まれました。

徐々に「この環境でこれからも子育てをしていくのは本当にいいのだろうか?」という疑問がわきました。

さらに、長女に喘息の症状が出始めたことで、より一層その思いが強くなりました。

自然の中で健康的な環境で子育てをしたいという気持ちが芽生え、長野への移住を真剣に考え始めたのです。

ちょうどその頃、コロナ禍の影響で私の仕事がフルリモート可になったのです。

そして、東京に住む理由がほとんどなくなりました。

このタイミングを逃す手はないと考え、妻と相談の上、私たちはホシノマチ団地への移住を決意しました。

ホシノマチ団地での思い出、パソコン仕事の違和感

2021年の12月にホシノマチ団地へ移住した当時は3人家族でした。

すぐにこのホシノマチ団地のコミュニティに溶け込むことができました。

思い返せば、当時のホシノマチ団地は入居者が少なく、空室の多い時期でしたね。

ホシノマチ団地には少人数ながら「移住者コミュニティ」がありました。

東京では地域との付き合いがほとんどなく、隣の住人すらお名前を知らない状態。

ホシノマチ団地はその正反対です。

似た境遇の移住者の皆さんが互いに緩く繋がりあって過ごすことで、温かいコミュニティができているのだと思います。

私たち家族にとって非常に居心地の良い環境でした。

とはいえ、私は会社員でしたので、日中はパソコン仕事の毎日です。

リモートワークでの仕事を続けていた私には、違和感が膨らんでいきました。

せっかく自然に囲まれた環境を求めて佐久に移住したのに、なんで室内でパソコンに向かっているんだろう?」という違和感。

都市の生活スタイルから脱却するために移住したのに、思ったほど自然と触れ合っていない自分に気付いたのだと思います。

次第にもっと佐久の自然や地域の暮らしに深く関わりたいと思うようになりました。

「ホチノマチ農園」が、私を変えた

ホシノマチ団地で暮らし始めた初期の頃の思い出として、特に印象に残っているのは、「ホシノマチ農園」での農作業ですね。

私たちより少し前から住んでいた住民たちが、車で5分くらい離れた場所にビニルハウスを借りて農作物を育てていました。

私もその活動に加わることになりました。

最初は趣味程度に参加していた農作業。

面白くなって、本格的に取り組むようになっていきました。

2年目には私がリーダーとなり、ビニルハウスではなく徒歩数分の近くの畑で作物作りに励みました。

ナスやズッキーニ、トウモロコシ、スイカなどを育て、農業の楽しさを感じるようになったんですよね。

さらに団地外でも活動も広げていきました。

佐久市の内山地区で、コメ作りプロジェクトに参加しました。

10人くらいでの仲間たちと共に、年間を通じてコメ作りをしていくなかで、ますます農業への興味が膨らんでいった気がしますね。

「意外とできるじゃん」

そう思えたんですよね。

それが、今につながるきっかけだったと思うんです。

人のご縁で、りんご農家へ

そんなある日、コメ作りの仲間から「後継者を探しているりんご農家さんがいる」という話を聞きました。

まずはその農家さんに会ってみることにしたんです。

実際にお話ししたところ、その方の人柄と農業への情熱に惹かれ、弟子入りする決意をしました。

こうして、私はりんご農家としての道を歩み始めることになったんです。

つくづく、人の縁だったんですよね。

最初から「りんごを作るぞ」と決めていたわけではないんですよ。

農業大学校は学びの宝庫!

その農家さんから、弟子入りの条件として、長野県農業大学校で農業の基本を学ぶことを提案していただきました。

そうして、小諸市にある農業大学校に通うことになったのです。

平日は毎日、農業の基礎知識から実技までをトータルに学びました。

作物の知識や栽培の技術、農業機械の扱い方、チェーンソーの操作まで、多くの技術を身に付けました。

なんとショベルカーの運転免許まで取得したんですよ。

農業は奥深く、多様なスキルが求められる職業であることを実感しましたね。

学生一人ひとりに「担当の樹」が割り当てられ、栽培から販売までを実践するプログラムはとても実りのある経験でした。

実際には、梨、ぶどう、桃などを担当しました。

ぶどうが特に市場で高い評価を得ていることを知ったんですよ。

ぶどうは、すぐに売れますし、しかも高い値段で売れるんですよね。

農作物を育て、自分の手で収穫し、さらにその果物を販売するという一連のプロセスは、非常に学びのある体験でした。

今年も引き続き農業大学校に在籍していて、果樹園で実地研修を行っています。

教室での学びから一歩進んで果樹園で学ぶことで、農業のリアルな課題と喜びを体感していますね。

立科町の教育環境と、今の暮らしのこと

2023年、私たち家族はホシノマチ団地から立科町へ引っ越しました。

弟子入りしているりんご農園のある場所への移住です。

立科町は佐久市に隣接しており、気候的にはそれほど大きな違いは感じません。

新しい環境での生活には少しずつ慣れてきましたね。

長女は現在、立科町の公立小学校に通っています。

立科町の公立小学校では、ランドセルがなく、町が支給する通学バッグを使うんです。

私たちにとっては驚きの一つでした。

それから、児童館が無料で利用できて、児童館ではイベントも盛んに開催されているんです。

これも引っ越してから知った良い意味でのサプライズですね。

次女は年度内の引っ越しだったので保育園に入れませんでした。

そこは引っ越して最初の試練でした….。

新年度になり、4月からは無事に保育園に入園できました。

立科町は自然豊かで、子育てにも適した環境です。

ホシノマチ団地にもアクセスが良いので、団地のバーベキューなどの際には駆けつけています。

新しい住民の方だけでなく、私たちよりも前に近くへ引っ越した家族とも会えました。

今でも交流が続いているのは嬉しい限りです。

東京でのコンクリートに囲まれた生活から、自然豊かな長野への移住を決断した私たち家族。

この移住の決断をきっかけに、りんご農家を目指すという想定外の道を歩むこととなりました

今思えば、住民同士で協力する趣味の「ホシノマチ農園」から始まっています。

ホシノマチ団地での経験は新鮮で面白かったですし、つくづくありがたいものになっています。

自然と共に生きる暮らしの中で、家族とともに新しい夢を追い続けていきたいと思っています。