こんにちは!運営スタッフのマチューです!
ホシノマチ団地は佐久市臼田にある移住者専用の団地です。
運営スタッフの1人として、住民の活動サポートなどを行っています!
スタッフ活動とは別に、和屋-Canaux-という屋号で、個人的にまちづくりの活動をしています。
佐久市・移住者インタビューと称して、移住者専用団地「ホシノマチ団地」に移住をされたSさんにインタビューを行い、移住後の暮らしのリアルについてお聞きしています!
※おことわり:インタビューは2023年夏に行っております。
前回のインタビューはこちら
もくじ
車なしの生活ができる移住先
大谷:早速ですが移住されたきっかけは?
Sさん:東京にいたのですけど、コロナもあり、色々なことに疲れ、一回違う環境でやってみたいなということで、移住を考え始めました。
大谷:長野に移住ということは考えられなくて、どこかに面白そうなところはないかというような感じで移住先を探されていたのでしょうか
Sさん:そうです。移住先は特に長野県には限定していなくて新潟や山形など移住するところを探して、下見もしたりしていました。
大谷:移住にあたって移住先をどう絞っていったのでしょうか?
Sさん:私は車の免許を持っていないので、車がなくても住めるところを探していました。それと東京から近い、あるいはまあまあ近い、交通の便がいい、山や川といった自然の環境が身近にあるところを念頭に調べていたら、「スマウト」(※)で佐久市のことを知ってホシノマチ団地があることも知りました。
大谷:「移住しよう!」と決心されたひと押しはなんだったのでしょうか?
Sさん:なんでしょう。実は引っ越しの当日まで迷っていたので(笑)
最後のひと押しというと…、東京でしていた仕事の条件が変わったことですね。
大谷:東京でのお仕事の条件が変わっていなくまだ東京に暮らされていたのでしょうか?
Sさん:そうですね。(条件が変わっても)仕事で頑張れる要素があったら東京にいたと思います。
移住での準備
大谷:移住するにあたって準備されたことなどあるでしょうか?
Sさん:佐久にきてから移住の助成金の申請をしました。佐久にくる前は…単身なので学校の手続きなどはなかったので特にしませんでした。
佐久の気候は?
大谷:佐久市に1年過ごされてみての感想は?
Sさん:2回目の夏を迎えていますが。暑いなぁと感じることはありますが、昨年はエアコンを使わずに過ごせていました。
湿気もなく他のところと全然違うなぁと思いました。
秋は紅葉が綺麗で、冬は車持ちでないからかもしれませんが、大変というイメージはありませんでした。
確かに寒いは寒いですが、夜、ものすごく寒くて暖房をつけなければ過ごせないということもなく、寝る時も湯たんぽで暖を取ればよく、気がついたら春になっていた感じです。
もちろん外出の際の防寒や、滑らない靴などの用意はいります。
それでも雪がすごく積もって買い物にいけないということはなかったですし、道が凍っていることもありましたが、大きな危険を感じることはなく、環境面で不便を感じたことはないです。
アーティストしての移住後の生活
(ホシノマチ団地のコワーキングスペース「ホシノマチオフィス shoku_ba」で演劇場面。
右から1人目がSさん。)
大谷:Sさんは即興演劇のアーティストとして活動されています。
その分野での移住後の感想も伺えたら。
Sさん:どこでも同じだと思いますが、演劇は人の繋がりでつくられていくものです。
移住後は待っていても仕方がないので、自分から動いて人と繋がりをできるだけ作るとか、いろんなところに顔を出してみるとか、面白そうなところには行ってみたり、コンタクトをとってみるなどしました。
そういう行動力は0から1に持っていくのは大変だったのですが、1からあとは、繋がりがどんどん広がっていきました。
東京と田舎では人口が違いますが、自分が思いついたことはいいことも悪いこともやってみるということはどこでも変わらないと思います。
地域とアートの活動は非常に相性が良い
Sさん:地域とアートの活動は非常に相性が良いと考えています。
地域でもともとアートで活動されてきた方がいっぱいいらっしゃります。
その方達と移住してきた方たちとが一緒にやれる機会があっただけでも移住してきた意味があったと思います。
大谷:どういう場面でそういう関わり合いの大切さを感じ取ったのでしょうか?
Sさん:地域で演劇活動する人たちの中に入っていけたことですね。
ブルーベリー農家さんと演劇!
(ブルーベリー農家さんでのイベントの様子)
Sさん:小諸に演劇活動をされているブルーベリー農家さんへ初めて伺った時、農家さんの周りに地元で演劇活動をされていらっしゃる方達と知り合うことができました。
同じ演劇分野でも、一緒にやれるかやれないか、活動に重なる部分がある、もしくは重ならないところがあるといったことはあり、それらは話をしてみないとわかりません。
別に価値観が違っても一緒にやれることはあると思います。
ブルーベリー農家さんで出会った方々と知り合えたことで一気に佐久に来てからの活動が広がっていきました。
コスモホールの館長さんと知り合う
(一財)佐久市文化事業団 提供
Sさん:コスモホールの館長さんに紹介いただいていたりとかしました。
演劇の講座・セミナーがあって、そこに出かけていたことで、地域にどんな人が演劇活動をされていらっしゃるのだろうかと知りたくなり参加してみたのがきっかけです。
大谷:自分から動いてみるということが大切ですね。それにしても演劇でのフィールドが佐久市にあるのですね。
Sさん: そうですね。コスモホールの場合は調べてきたわけでなく、たまたま臼田にコスモホールがあり、館長さんがすごく精力的な方だったのです。
劇場や館によって演劇分野への取り組みの活発さが違うのですが、コスモホールの館長さんが非常に熱心であったのは良い意味で予想外でした。
小諸のブルベリーガーデンも佐久に来てからたまたま知りました。
私はおそらくどこの地域にも芸術活動をする方達はいると思っています。
移住した際に大変だったこと
Sさん:電車や交通のところですね。
私は車を持っていないので、電車を使うのですが、1・2時間に1本とかで、1本逃したら、2時間待たなければいけないみたいなのが最初の時にはあり、バスとかもなく、代替手段もないので困ったことがあります。
大 谷:今でも代替手段は見つかってないのでしょうか?
Sさん:今も見つかってないですね。仕方がないので電車の時間に合わせて行動を決めています。
大 谷:環境に適応していくということですね。
Sさん:こうでしかないから、こういうふうにスケジュールを組んでいくようにしています。
今も自動車免許を取るつもりはないので、会いにいく先にも電車の時間に合わせてもらっていて、「電車がないので何時にしかいけません」、「この時間にしか電車がないので、この時間には帰ります」とかで、やっている感じですね。
そういうわけで(電車の本数が少ないのと)電車以外の交通手段が少ないということは感じました。
大 谷:東京だったら10分待てば乗れるだろうという感覚はありますからね。
会社人事の仕事も開始!
大谷:Sさんは演劇活動の傍ら、テレワークで会社の人事のお仕事をされていますが、移住された後にお仕事を見つけられたのでしょうか?
Sさん:そうです。
大谷:どうやってでしょうか?
Sさん:求人サイトで、「在宅」、「全国応募可能」、「地方勤務可能」のキーワードで探しました。
大谷:1年経ってしまっていますが、どこでもテレワークができる条件の求人は多かったのでしょうか?
Sさん:はい、多かったです。私もこんなにあるとは思わなかったです。お仕事では、私はたまたま人事でしたが、事務や電話対応といった業務の求人が多かったです。
ただ、家を出ない仕事に抵抗のない方、外に出られなきゃ嫌だ、じっとしているのが苦手という方には向いていないですね。
大谷:私はダメですね(笑)
Sさん:笑笑。
私はどちらかというとその方がいいので、在宅の仕事はとてもマッチしていました。
逆に本当に家から出たくなかったので。
東京では在宅の仕事をしたことがなかったのですが、いざやってみると在宅の仕事ってこんなに楽なんだって私は思いました。
転職のタイミングは?
大谷:移住を検討される方で転職のタイミングで悩まれる方がいて、転職先を見つけるのを移住前にするか、移住後にするかというのがあり、つい最近も相談を受けたのですが、Sさんはどうお考えになりますか?
Sさん:人それぞれになるかと思います。
ご家族がある方は、転職先を移住前に決めていれば安心材料になると思います。
私みたいになんとかなると思っている方は移住後になんとかするでしょう。
実際に移住後に今の仕事に就くまでいくつか別の仕事をしましたが合わなかったことはあります。
インプロとコミュニケーション
大谷:演劇というコミュニケーションが根幹にあるものを専門に活動をしてきたSさんにとっても、コミュニケーションは難しいものなのですね。
Sさん:難しいですね。
インプロやっていてよかったなと思うのは、相手のいうことをよく聞くようになったということですね。
この人はどうしたいのだろうと相手の人を優先して聞くことで、どういう状況になればこの人はいいのだろうという相手のためにという相手の人が望んでいることをやってみるというのがインプロの絶対的なルールなので、仕事を通して、「あっこういうことか。人のためにというのはこういうことなんだ」と、今さらながらすごく痛感しました。
「相手のために」ということ考えると自分で考えていかなければいけないので、考える力がつきましたし、感じとるとか、わからないときに聞くというやり取りをする、文字であっても徹底的にやり取りするということがより学びました。
これからやりたいこと
Sさん:演劇活動の素地や演劇関連の施設が近くにある長野や松本などは特にすごい演劇が活発です。
今は、私はそうじゃないところ、全く演劇活動がない地域に行ってみて、インプロにしろ、何にしろ、本当にゼロの状態からどこまで行けるかということを佐久に来てから感じました。
たまたま佐久市での活動は運が良くてそうなっていますが、自分から耕して種をまくみたいなところからやってみたらどうなっていくのだろうと考えています。
地域の人たちと一緒にできることってなにがあるのだろうとか、一緒にやってもらえるのか、そこをどう引っ張っていけるのか、どう巻き込んでいけるのか。
今はホシノマチ団地の人たちやいろんな人がサポートしてくださっていますが、そういったサポートが一切ないところで、演劇活動がない地域の人たちが演劇に興味を持ってもらえるかどうかって、それは物凄く真価を問われるなと思っていて、そこになんかチャレンジしてみたいなと思っています。
大谷:演劇活動が何もない地域へ行ってみたいのですね。
Sさん:芸術活動の演劇やダンスが廃れてない、なくなってということは、演劇やダンスが世界中どこでも必要で求められていることだからと私は思っています。
芸術活動がないところでもそこには演劇をやってみたい、歌を歌ってみたいという人はいるはずで、その人たちの新しい楽しみを作るきっかけを自分がしたくなって、どこに行こうかなぁって(笑)
それこそ東北の方とか縁もゆかりもないところでやってみるのもいいのかなぁって思っています。佐久市以外で考えた場合ですけどね(笑)
大谷:Sさんは音楽や演劇が誕生する瞬間を見てみたい、人類が初めて音楽や演劇をする瞬間の擬似体験をしてみたいということですね?
Sさん:音楽を含む芸術はいわゆるコミュニケーションツールとして使われることもあって、言葉では伝えられないけど音楽では伝わる、例えばタップダンスは言葉の代わりに会話で使われたのが始まりです。
大谷:そうなのですか!?
Sさん:言葉では伝わらないので足のリズムで伝えて、相手も受けて返すやり取りが芸術として、エンターテイメントとして発展していったのです。
音楽も最初は太鼓を叩いていたとか、ウーとかアーとかいっていたのが、面白さを見つけて、木を叩いてみたり、吹いてみたりして工夫していったところから始まっているわけで、そういう原始的な瞬間がまだ地域にあると思っています。
日常的にも皆さん演技していて、それに気づくだけでも劇的な瞬間になると思います。
大谷:ぜひ、佐久市内で見つけてください(笑)
Sさん:そうですね。なければ作ってみるということもできると思います。人が気軽に集まれるところを作って、人が発表したり、創作する場所にして、そこでいろんな人が交流してというような場所があればと思っています。
大谷:語弊があるかもしれませんが、気軽に集まれる場所のイメージでは、駅前でローラースケートをしていたり、音楽を演奏していたりなどでしょうか?
Sさん:「あそこにいけば、何かやっている、催しものをしている」と思われている場所ですね。それってすごく娯楽を提供するというか、、、話が少し飛びますが、この前海外のドキュメンタリーを見ていて、村のおばちゃんたちがシェイクスピアの演劇をするというものでした。
いろんな村を回っていて、シェイクスピアの映画の上演に加えて演劇をするという構成で、村の人たちにとっては、そういうものがくるというだけで楽しみにしていて、女優になったおばさんたちが上手い下手ということではなく、劇の中に村の事情を盛り込んでみたりとか、そこに一緒に何かやりましょうといって、村長さんを舞台に登場させてみたりとかするのです。
大谷:現実と虚構を混ぜ合わせるのですね笑笑
Sさん:(ドキュメンタリーの中の劇でも)シェイクスピアの舞台上で村長さんに実際に困っていることを言ってもらう、そのことで村の皆さんが劇を身近に感じるので、観客はすごく楽しい表情をしていました。
一つ楽しいことがあるというだけでも日々の生活や(村の)賑わいが違ってくると思います。
私は即興をやっているので、何も用意する必要がなく、何なら本当にその場にいる人たちと一緒にできるから、もっと即興性を重視した集まりができるといいなと思っています。
大谷:ホシノマチ団地がその舞台となったら面白いですね!
移住体験からテレワークの仕事への転職・仕事の取り組み方・コミュニケーションの取り方・地域での演劇の可能性についてとても興味あるテーマとたくさん聞かせていただき、実践的なお話ありがとうございました!